名古屋の道路が広い理由は?【結論:戦後復興】

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先日、名古屋の道路が白いことについての記事を投稿した。今回はそんな名古屋の道路シリーズの続き。なぜ名古屋の道路は広いのか、その理由を名古屋の歴史から紐解いていこう思う。

この記事でわかること
  • 名古屋の道路が広い理由
  • 名古屋の道路の活用方法
  • 名古屋以外に存在する広い道路について
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名古屋の道が広い理由は「戦後復興」

結論から言うと、名古屋の道路が広い理由は戦後の復興にあるんだ。

名古屋は中京工業地帯に位置しており、トヨタ自動車を中心に「ものづくりの街」としてのイメージが強いと思うが、それは戦時中も同じだったという。

名古屋で工業が発展した理由としては、

  • 大阪と東京の間に位置しており交通の弁がよい
  • 海に近いため、貿易に有利
  • 豊富な水量を持つ木曽川のおかげで工業用水を確保しやすい
  • 肥沃で広大な濃尾平野が広がっている

の4つが挙げられるという。

なぜこの地域に工業が発達したかというと、東京と大阪の間に位置するため、昔から交通の便が良く、人の行き来が盛んだったことが理由の一つです。また、海に面していることで貿易が活発に行われています。さらに、豊富な水量を持つ木曽川のおかげで工業用水を確保しやすく、肥沃で広大な濃尾平野があることも大きな理由です。

https://04510.jp/times/technology/article49/

特に戦時中は日本の航空機産業を支えており、軍需工場の中心地となっていた。よって、敵国から狙われやすい土地になっていたんだ。実際、第二次世界大戦では東京の次に被害が大きかったという。

今もモノづくりのまちと言われる名古屋市は、第二次世界大戦当時も日本有数の工業都市でした。特に日本の航空機産業を担う重要な工場が数多くあったため、日本国内では東京についで空襲の被害が大きかったと言われています。

https://map.yahoo.co.jp/blog/archives/20150805_column_postwar.html

結果、名古屋は第二次世界大戦でで大部分が焦土となってしまった。それゆえ、名古屋では大胆な都市計画がしやすかったんだ。

軍需工場の多かった名古屋は、戦災で市中心部のほとんどが焦土と化したため、大胆な都市計画が実現できたという理由もあるだろう。

https://diamond.jp/articles/-/319119#:~:text=%E9%81%93%E8%B7%AF%E3%81%AE%E5%BA%83%E3%81%84%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%81%A8%E3%81%84,%E3%81%AB%E6%8C%99%E3%81%8C%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%80%8C%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%80%8D&text=%E7%A2%BA%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%80%81%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E3%81%AE%E9%81%93%E8%B7%AF,%E7%B8%A6%E6%A8%AA%E3%81%AB%E8%B5%B0%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

中央分離帯は公園になっている

戦後復興ゆえ幅広な道路が敷かれた名古屋。ここで話を現代に戻そう。

名古屋で特に幅が広い道路は

  • 久屋大通(ひさやおおどおり)
  • 若宮大通(わかみやおおどおり)

の2つ。

久屋大通
若宮大通

これらはどちらも、道幅が100mを超えている。しかし、どちらも片側3, 4車線の道路であり、とてもこれでは100mを超える道幅になるとは思えない。
ではなぜ道幅が100mもあるのかというと、中央分離帯が大きな公園になっているのが理由なんだ。

久屋大通の中央分離帯に位置する、「久屋大通公園」
若宮大通の中央分離帯に位置する「若宮大通公園」

特に久屋大通の中央分離帯に位置する「久屋大通公園」には、名古屋のランドマークである「中部電力 MIRAI TOWER」がそびえ立っている。
近くには「中部電力 MIRAI TOWER」と並んで名古屋を象徴する「オアシス21」があり、絶好のフォトスポットとなっている。

名古屋は中央分離帯を公園にして、市民の憩いの場・観光スポットとして活用しているんだ。

道幅が100m以上の道路は日本に3つしかない

ちなみに、道幅が100m以上の道路は、久屋大通・若宮大通と、広島県にある平和大通りの3つだけである。

平和大通りは通称「100m通り」とも呼ばれており、久屋大通・若宮大通と同じく、中央分離帯が緑地となっているため、道幅が広くなっている。

平和大通りの路線名は「広島市道比治山庚午線」で、長さは約4kmあり、
通称「100m道路」。

歩道から緑地帯・車道までを含めて道路幅が100mあることから、「100m道路」と呼ばれるようになりました。

https://tabetainjya.com/local/100/

広島も言わずもがな、戦争で甚大な被害を被った都市の1つであるため、名古屋同様、幅が広い道路が敷きやすかったのではないかと考える。

まとめ

ここまで、名古屋の道路が広い理由について、その歴史的背景から紐解き、現代の名古屋における幅が広い道路の活用用途等についても記してきた。

本記事のまとめ
  • 名古屋に幅が広い道路が多い理由は、戦争で大部分が焦土となってしまったから
  • 名古屋の代表的な広い道路は「久屋大通」「若宮大通」の2つ。どちらも道幅100m超。
  • 「久屋大通」と「若宮大通」の中央分離帯は公園として活用されている
  • 日本にある道幅100m超の道路は「久屋大通」「若宮大通」と、広島にある「平和大通り」の3つだけ

名古屋に訪れる機会があれば、是非道幅の広さに目を向けてみていただきたい。

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